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復興の足音
いのまた雅人 大震災に見まわれた我が街浦安に復興の兆しが見えてきました。 近所の保育園のゲートを始め街の所々に復興のスローガンが掲げられています。 そうです。負けてはいられません。 連日のようにトラックや重機が入り、槌音高く復旧作業が進められています。 そしてまた、ボランティアの方々が大挙来てくれました。 道路に噴き出した泥を片付けてくれています。 市民ばかりでなく、外部から来てくださった方も多かったようです。 外人のボランティアも来てくれたのは、さすが、国際都市浦安です。 Thank you very much! カメラを向けると陽気にピースをしてくれました。 お蔭様で、多少デコボコはあるものの、大分歩きやすくなりました。 TVクルーも、何組か取材に来ています。 私も、TBSのクルーに逆取材です。 このように、最近、TVで浦安の惨状を放映するお蔭で、思いもかけない旧知の人や知人や踊りのお師匠さんから、お見舞いのお電話やお手紙をたくさんいただきました。 ありがとうございました。 ガスと水道が4~5日前に復旧しました。 水汲みからは開放されましたが、下水が詰まっているとかで、結局、トイレ、風呂、洗濯は、まだ行えません。 しかし、ここまで来れば、そう遠くではないでしょう。 ようやく、先が見えてきました。 そんな中、先日、静岡市で仕事がありました。 静岡も、3月15日でしたか、震度5の大きな地震がありましたが、会は実施されました。 10時半の開演にも関わらず、8時半には、数人のお客様が、会場前に並んでいました。 会を始めるにあたり、会主さんの強い思いで、客席も楽屋も一体で被災者の方々に黙祷を捧げました。 それまでのざわめきが、一瞬で静まり返りしばしの静寂に包まれました。 こんな時に歌舞音曲もないだろうとのご意見もあるでしょう。 会を行うのに物理的な支障(会館が壊れたなど)はないのに、自粛されるお師匠さんもおられるようです。 これはこれで一つの見識だと思います。 しかし、一方で、開演の2時間前から並んで舞踊会を楽しみにしているお客様がいて、出演者も2年に一度の発表会を目標にお稽古に励んで来られ、晴れてこの日を迎えられた訳です。 あえて、会を開催するのも、これもまた、一つの見識だと思います。 お蔭様で、今回は、余震もなく、しっかりと仕事をすることができました。 皮肉なことに、震災直後に3つも仕事が続きましたが、後はしばらく暇です。 しっかりと生活を立て直し、明日に向かって頑張ろうと思います。 #
by maigeshou-inomata
| 2011-03-30 14:15
| 雑感
大震災を体験して
いのまた雅人 このたびの東日本大震災で貴い命を落とされた方のご冥福をお祈りするとともに、いまだ行方の分からない方に奇跡が起きますことをお祈り申し上げます。 思えば、3月11日午後2時28分に前回の椿の花のブログをUPしましたが、それからわずか18分後の2時46分にあのような大地震が日本を襲うとは、考えてもみませんでした。 私も、立っていられないほどの2度にわたる大きな揺れの中で、今まで全く体験したことのない地震の恐怖を感じました。 東北地方ほどの被害ではありませんが、我が街浦安も、新市街(いわゆる埋立地)は、液状化現象により見るも無残な姿になりました。(旧市街はほとんど被害はありませんでした) TVであまり報道しないので知らない方も多いのですが、私の愛する美しい街並みは、電柱や塀が倒れ、住宅は傾き、道路や空き地からは水と砂が吹き出し、マンホールは1メートルも浮き上がったり陥没したり、今は見る影もない姿がいたる所にあります。 そんな中で、人的被害の話がないのは、不幸中の幸いだったと思います。 我が家も、塀は傾きベランダは崩壊寸前ですが、家は水平を保っているので、被害の少ないほうでした。 いまだにガス、水道が復旧していないので、不便な生活を強いられています。 あまりに悲惨なので、写真など撮る気にもなりませんでしたが、後の人にこの大惨事を知らせるのも体験者の務めかと思い、何枚か写しました。 このような中で、すでに2回、会がありました。13日の横浜と20日の江戸川です。 どちらも、途中で地震があり、思わず筆を止め、身構えました。 しかし、どちらの会も盛況で踊る人も見る人も、パワーに溢れていました。 そうです。悲しんでばかりもいられません。 人は、どのような境遇の中でも、自分の務めは果たさねばならないのだと意を決しました。 私は、連日の泥の片づけ、水の確保、食料の買い出し、ガソリンの補給、そして仕事とクタクタになりました。 余震にも、震えます。 人間は、弱いですが、また、強くもあります。 被災地の大船渡は、昔、仕事で行ったことがあります。 町中を流れる川を鮭が遡上している自然に恵まれた風景に感動したものです。 今は、全く見る影もありませんが、何年かかっても、またあの鮭が遡上する美しい街に戻さねばなりません。 浦安も、また、然りです。 嘆いてばかりもいられません。 自分の持っている力を最大限発揮して、直接的・間接的に復旧に少しでも役立つことができるようにがんばります。 #
by maigeshou-inomata
| 2011-03-23 11:23
| 雑感
椿の花
いのまた雅人 3月になって、やっと暖かくなったと思えば、翌日は雪が降ったり、全く調子が狂います。 そんな今日この頃ですが、真っ赤に咲く椿の花を見つけました。 たぶん椿だと思うんだけどな…。 山茶花じゃないよな。 というのも、花は大きいし、花弁のまま落ちているし、葉は濃い緑でツヤツヤだし…。 でも、葉に山茶花の特徴といわれるギザギザはあるけど…。 ああ、わからない。 悩める春の日でした。 #
by maigeshou-inomata
| 2011-03-11 14:28
| 植物
ひろみの作品
お嫁に行っちゃったひろみが、また、漫画を描きました。 親ばかになっちゃいますが、やっぱり面白いなあ。 ちなみに、ここに出てくるスーちゃんは、本当にゴローの兄妹です。 そして、きなこは、ボールを見ると人格いや犬格が変わります。 それでは、ご覧ください。 #
by maigeshou-inomata
| 2011-02-27 08:35
| ひろみのアトリエ
沖縄に行きました
いのまた雅人 沖縄に行きました。 途中、上空の雲の切れ目からきれいな富士山が見えました。 空港を始め市内は、プロ野球のキャンプの歓迎ムード一色でした。 名護の日ハムの斎藤祐樹選手を見るのは、時間の都合であきらめて、夕食です。 おばんの店「きらら」です。 アラカルトで色々オーダーしました。 若い男女の民謡演奏で沖縄気分に浸りました。 フィナーレでは、カチャーシーという手踊りを習いました。 演技指導の店長です。 コツは、高い窓を両手で開け閉めするように手をヒラヒラさせるそうで、女性はパー、男性はグーでやります。 足は、適当に踏み鳴らすことで福を呼ぶのだとか。 家内は、裏方より表の方がいいとばかりに踊りました。 上手だねえ。才能あるんじゃないの。 食事の後は、街をブラブラ。(反対に読めばラブラブ) つかの間の休息です。 仕事は、翌日です。一部が古典で二部が歌謡曲です。これを昼夜二回公演です。 会主さんの演じた「静と知盛」は、歌舞伎でも有名ですが、この舞踊の眼目は、一人で前半の優美な静御前と後半の荒々しい亡霊の知盛を演じ分けるところです。 歌舞伎の知盛の亡霊は、青い隈取りをして長く黒い毛を被りますが、この度は、半素といって軽い衣裳で、かつらも前割という素踊り用のかつらで、いわば略式で演じます。 とはいっても、顔も衣裳もかつらも早ごしらえで替えるわけです。 衣裳は、静御前の衣裳の下に後半の衣裳を着込み、早替わりで上の衣裳を脱がせます。 かつらは、被せ替えるだけです。 問題は、顔です。 静御前の眉は、ボーボー眉毛といって平安朝の優雅な眉なのに対して、後半の前割というかつらの眉は、キリリとさせなければ、かつらに合いません。両極端の眉毛なのです。 当然、引き直している時間はありません。 こんな時は、張り羽二重(はりはぶたえ)を使います。 絹の細い布にあらかじめ眉毛を描いておきます。 これを後半の化粧をした眉の上に張るのです。 そして、早替わりのときに素早く外します。 女から男、男から女など、色々と応用できます。 この張り羽二重は、今回とは反対に後半に張ったり、途中に張ってまた外したりもします。 歌舞伎では、猿之助丈が、早替わりでよく使いますよね。 少し離れると眉毛の上に布の眉毛が張ってあるとは、全く分からなくなります。 歌舞伎の演出の知恵ですね。 会主さんは、ご自分で化粧をする方なので、今回、私は、張り羽二重の着脱だけで、だいぶ楽をさせていただきました。 二部は、美空ひばりメドレーでガラリと雰囲気が変わります。 夜の部は、これを繰返して、昼夜2回の公演は、無事終了しました。 緊張感の解けたその夜、ホテルで記念撮影です。 旅の恥は、かき捨て状態で、衣裳屋さんも、鬘屋さんも、関わりたくないといって他人の振りをして去って行きました。 琉球王朝の貴族に見えませんかね。 翌日は、モノレールで空港に行くことにしました。 牧志という駅から見た小学校の屋根には、シーサーが並んでいて家内にいわれるままにシャッターを押しました。 モノレールは、巨人のオープン戦があるとかで、球場までの間は、ものすごく混んでいました。 でも、沖縄の人は大変親切で、車内で荷物を持った我々に路を空けてくれたり、荷物置き場を教えてくれたりととってもフレンドリーでした。 ありがとうございました。 こうして、あわただしい2泊3日の旅は終わりました。 #
by maigeshou-inomata
| 2011-02-24 12:14
| 顔師
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